1985-12-06 第103回国会 衆議院 外務委員会 第3号
大体こういう、死んだのはあくまでも日本人だ、だから中国の政府が何と言おうと朝鮮の国民が何を言おうと、日本人として死んだんだから日本人として靖国へ祭るんだ、遺族の言い分なんか聞かない、こういうことを靖国当局は言っているということなんだが、こういう言い分が通るならば、あの横井庄一君だのあるいは小野田寛郎君だの、彼と前後して三十年、ジャングルの中で発見されたあの台湾の高砂族出身の中村輝夫さん、これが戦後の
大体こういう、死んだのはあくまでも日本人だ、だから中国の政府が何と言おうと朝鮮の国民が何を言おうと、日本人として死んだんだから日本人として靖国へ祭るんだ、遺族の言い分なんか聞かない、こういうことを靖国当局は言っているということなんだが、こういう言い分が通るならば、あの横井庄一君だのあるいは小野田寛郎君だの、彼と前後して三十年、ジャングルの中で発見されたあの台湾の高砂族出身の中村輝夫さん、これが戦後の
しかしながら、今日的話題になっております中国残留孤児問題、国家補償を基本理念として原爆被爆者援護法をつくれという制定運動、あるいはシベリア抑留者補償の裁判、サハリン残留韓国人帰還問題等々、あるいはまた昭和四十七年横井庄一さんが生還救出された事件、昭和四十九年の小野田さんが出てきた事案、また昭和四十九年末の台湾人元日本兵士中村輝夫さんのモロタイ島での発見、救出などを、戦後数十年たった今日において見聞するにつけまして
私が心配しておりますのは、先ほど列挙をいたしましたように、まず吹原弘宣、これは一時期で遮断されたようではありますが、吹原弘宣、笹川良一氏の弟の笹川良平氏、それから福田前総理のおいの福田朞、グアム鳥の横井庄一さんの奥さんの兄さんの幡新守也氏、それから松本明重氏、世界救世教外事対策委員長、日本民主同志会書記長、巷説には宮本身分帳の陰の黒幕だと言われている人、それから児玉誉士夫氏、それから名前は申しませんけれども
○横山委員 幡新守也氏、これはグアム島の横井庄一氏の奥さんの兄さんでありますが、御存じかと思いますが、金融業。明照院氏及び竹内氏に三千万円を融資して、ために聖護院別邸を買う、学生寮や宗務総長役宅の所有権を差し押さえておる。このことはどうですか。
もういないんじゃないかと思ったら、横井庄一さんが歴史的な出現をしたり、もうこれで終わりかと思ったら、小野田寛郎さんが出現したり、もうないんじゃないかと思ったら、中村輝夫さんが出現したり、思わないようなときにこういうようなのがちょんちょんと出てくるわけです。当時の軍の記録等はもうないでしょうけれども比島、フィリピンではほとんど島でしょう。ルバング島だけが島じゃないわけです。
この間二十何年ぶりに帰ってきた横井庄一さんでも、恥ずかしながら横井庄一、帰ってまいりました、陛下の三八式小銃は持って帰りました、こう言っているじゃないですか。 〔委員長退席、谷川委員長代理着席〕 兵器というのは日本国のものであり、天皇が統帥しておったものです。それを、現地の一部隊が全滅したらそれでもう所有権は放棄したのだ、そんなばかな議論で国賠法のことを考えられたらどうなりますか。
で、そういう状況は、実はまあ横井庄一さんの例を出して悪いですけれども、横井さんも、生きて虜囚のはずかしめを受けず、おまえ捕虜になることは相ならぬぞと言われたから、私は捕虜になっちゃいかぬというその気持ち一心で、二十八年間穴の中にもぐっていたと、横井さんは手記の中で言っていられる。
私は援護局長にあえて言いますけれども、この前は横井庄一君があらわれてきた。いま皆さん方は、厚生省の一家をあげて、ああやってフィリピンで小野田寛郎君の捜査のために演じておられる。私はそれを悪いというのではないのです。人の命は大切だから大いにやっていただきたいが、しかし、率直に言って、速記録を読んだら彼らは逃亡兵でしょう。逃亡がいい悪いというのではないのですよ。
それから、横井庄一さんや小野田少尉殿と同じような立場、同じような境遇でいながら、いまなおわが日本においては汚名もそそがれずに泣いている者が何万人もいるということだけでも、私は、はっきりいって、あなたの言うことは了承できないし、言っていることはうそです。 これで終わります。
先ほどから小林委員おっしゃられておりますように、横井庄一氏の場合あるいはルバング島における小野田少尉の場合を見ましても、たとえば小野田少尉、小塚金七両兵士、将校と兵隊がフィリピンにおいて何人かの現住民を殺傷している、あれは一体だれの罪なのか、戦後三十年になんなんとする現在、なお山にこもって出てこられないのは一体だれの罪か、現住民を殺したのはだれの罪か、これは国家の罪じゃないのか、そういうことをつくづく
ならば、私は言いたくないが、一体横井庄一さんは何だ。あれは裸で逃げたのじゃない。軍服を着て逃げたんだ。ただそのときに彼はつかまらぬで、二十八年間穴の中に入っていた。これが出てきたときになぜ一体逃亡罪で処罰しないのか。窃盗罪でなぜ処分しないのか。英雄のごとくあなた方はそれを迎えて——もっとも知恵をつけた。お前、黙っていると窃盗罪になるから、少しじょうずにやれと言って厚生省が横井さんに知恵をつけた。
一番いいのは横井庄一さんですよ。横井さんだって逃亡罪だけれども、窃盗も横領もついて回るのだけれども、なかなか日本の法律というものは、あとで法務大臣に聞きますが、法治国というけれども、その法律の適用というのはこんなになっておるのですよ。ですからそこら辺、あなた聞きましたから、刑が執行されて十年たつと一般刑法もぱあぱあになるということを聞きましたから、それはそれでいい。
しかながら他方において政府の戦後処理の施策の実態を見るに、グアム島の横井庄一氏、ルバング島の小塚、小野田両氏のような生存する者の救出または遺骨収容等、戦争犠牲者に対する措置の不十分を指摘せざるを得ないことは、まことに遺憾と言わざるを得ないのであり、戦時中の軍法会議処刑者に対する取り扱いもまたしかりであります。
木村さんの話によりますと、横井庄一さんがいたグアム島よりもセントジョージ島のほうが、気候、食糧、水にも恵まれていて、生存条件はずっとよかったというようなことで、きっと生きているはずだということだそうです。
○大橋(敏)委員 御承知のように、生産経済第一主義から福祉優先への大転換がはかられようとしております今日でございますが、特に戦争犠牲者の、いわゆる戦後処理の総清算といいますか、あるいは総決算的な使命を持っているのが厚生省の援護局の重要な仕事だと私は考えているわけでございますが、横井庄一さんの奇跡的な生還に始まりまして、特にこの問題がクローズアップされ、あるいは小野田さんの問題等々、いわゆる戦争の残骸
横井庄一さんという人がほら穴の中から帰ってきました。二十七年ぶりに帰ってこられた。私はこの人もりっぱな人だと思います。しかしソ連には、まだ日本人の行くえ不明の人が三千数百名おるそうでございます。横井さんは南のほら穴の中へ入っていましたから、食べものはある、生きていけましたけれども、ソビエトで穴の中で暮らすわけにはいきませんので、一体その人たちがどうされておられるか。
しかし、グアム島の横井庄一さんをはしりにいたしまして、いまなお捜索が続いている小野田少尉の救出問題、あるいはまた、日本人の現地妻の帰国、国籍の問題、そういう多くの戦後処理の問題がたくさん残ってるわけですが、時間の関係上きわめて残念でございますが、きょうは戦争による内地の戦災障害者の問題点にだけしぼりまして御質問を実はいたしたい。
もっと言っていいのなら、時間があまりありませんが言いますけれども、私は、横井庄一さん、よく助かって帰ってくださってああよかったなと思います。今度は奥さんと一緒に新婚旅行はグアム島へおいでになるそうです。実に明るい感じがいたします。しかし、軍法会議のたてまえから見れば、これは逃亡兵じゃないのですか。辻政信さん、みずからおれは逃亡したんだという「潜行三千里」の本を出した。あれは逃亡兵じゃないのですか。
先日横井庄一さんの問題が大きく新聞紙上で取り上げられましたときに、戦争で下半身を失って、現在もなお、箱根の国立療養所ですか、向こうで生活している一人の傷病軍人が、おれの人生を戦争が奪った、横井さんもかけがえのない三十年を戦争によって奪われた、しかし彼にはあすがある、だがおれたちにはあすはないと、こういうぐあいに語ったということが新聞報道等で伝えられました。
それで、この前提としては、横井庄一さんが昭和十九年にグアム島において戦死をしたという戸籍法の手続によりまして、そういう公務扶助料をもらう、あるいは遺族年金をもらうという資格が発生した。ところが、ことしの一月の末に、それが間違いであったということがわかったわけです。そこで、厚生省といたしましては、地元の愛知県知事に連絡をいたしまして、その戸籍の死亡の手続を取り消したわけでございます。
横井庄一さんのケースでございますが、横井さんの場合は、彼が東京の羽田へ帰ってまいりましたことしの二月二日でもって、復員、召集解除ということになります。
それからまた、これは沖繩だけでなくして、今度の国会でも問題になりましたが、たとえば横井庄一さんの問題、あるいは敵前逃亡罪の汚名を受けた方々の問題、やはりこういう問題が次から次に出てくる、こういうふうに考えますと、戦後処理というものがもう片づいたんだというふうにはとてもあれからいっても考えられないわけであります。
御承知のように、遺骨の収集、あるいは生存者の帰還の問題、また援護法において処理すべきものもまだ漏れているものもあるというようなことで、なるべく早くこれを終結をするようにしたいと努力をいたしておるわけでありますが、まだいまのところ、国交の回復していない地域もありますし、また、国交の回復している地域でも、ことに遺骨の収集等につきましては、まだ不十分な点がたくさんございますので、横井庄一さんの帰還の機会にも
そうなりますと、当委員会でもずいぶん議論になったわけでありますが、罰則はない、協議だ、しかも期間は二週間だということになれば、協議がいやだというので、ちょっとハワイヘでも行ってくるとか、あるいはグアム島へ行って横井庄一さんの二十八年間の御苦労をしのんでくるとか、そういうようなことで、ちょっと外国へ出ていけば二週間はすぐたってしまいますね。
○政府委員(瓜生順良君) まあ横井庄一さんが拝謁されるかどうかという問題が一つございましたですけれども、その際にやはり、横井さん自体も特にそれを考えられておったわけではないようでありましたし、しかもまた、いろいろわれわれのところへ入ってくる声もございまして、やはり横井さんは非常に御苦労されて、その点は大いに評価すべきですが、また多数の戦死された遺族の方で割り切れない気持ちがある、横井さんだけをあまりちやほやいたしますと
だから、もう少し気軽にというか、横井庄一さんなんかの謁見についても、何かもっと気軽に取り運ばれないものだろうか、こういうふうに私は思うのですけれど、次長、その辺はどういうふうにお考えになりますか。
この間横井庄一さんが二十八年ぶりに帰還された、こういうわけで、あらためて戦後処理の問題がまだ残っているのかな、こういう感じを強くしたわけです。